ありがとう!「がんばクラブ」
昨年8月にこのブログでもご紹介させていただきましたが、乙訓地域には30年以上前から今の放課後等デイサービスにあたる、障がい児学童保育という先駆的な取り組みが行われていました。
向日市には「がんばクラブ」という障がい児学童保育があり、私は大学生の頃「がんばクラブ」の指導員をしていました。今の仕事に至る原点でもあります。
放課後等デイサービスが制度化された現在、「がんばクラブ」はその役割を終え、この春休みをもって活動を終了しました。
今日はその「がんばクラブ」のお別れ会でした。「がんばクラブ」の卒業生、元指導員、現役指導員、保護者、学校の先生など、総勢約180名が集まりました。
私が指導員をしていたのは昭和から平成になるころ。その頃の指導員仲間や当時の子どもたちと再会し、懐かしい話に花が咲きました。
当時は固定の開設場所もなく、小学校の教室や空いている会館を借りて、毎日ジプシーのようにさまよっていました。借りる場所がない日は、電車に乗ってひたすらうろうろしたり、公園で火を焚いてお好み焼きや焼きそばを作ってお昼ご飯を食べたりしていました。今なら確実に食品衛生法とか消防法に問われそうなこともやってたよね~、と当時の指導員同士で苦笑いしていました。
今のように町なかにエレベーターや階段昇降機もなく、障がい者トイレもない時代だったので、お出かけするのも人海戦術でした。駅員さんに手伝ってもらおうとすると迷惑がられたこともしばしば…。車椅子の子どもと2人で出かけた時に人通りが少ない階段に出くわしたときには、手伝ってくれる人が通りがかるまで待ち続けたこともありました。和式トイレに子ども(…といっても小中学生とか)を抱えて手をプルプルさせながらトイレ介助したことも。介助者も姿勢が安定しないので、「不安でおしっこができない!」と子どもに怒られたこともありました。
34年の歴史に幕を下ろした「がんばクラブ」ですが、30年以上前から子どもたちの長期休暇や放課後を保障しようという取り組みがあったこと、それが30年以上も継続されてきたことに胸が熱くなりました。
指導員を経験した多くの若者は、その後学校の先生になったり、福祉関係の仕事に就いたり、医療や保健分野で活躍したりしています。みんな「がんばクラブ」での経験が原点となっているんですね。
そういう私も「がんばクラブ」で人生が変わったひとりです。紆余曲折ありましたが、ずっと障がいを持つ人たちと関わる仕事をしてきて、とても幸せな人生を送っています。
「がんばクラブ」が幕を下ろした年に、新しく放課後等デイサービスを開所することになるとは、不思議な縁を感じます。「がんばクラブ」に教えてもらったことを大切にして、これからも地域の子どもたちの役に立てるよう頑張っていこうと思いました。
関係者の皆様、本当に長い間お疲れさまでした。そしてありがとうございました。